向島・墨堤コース
隅田川・言問橋
「名にしおはば いざ言問はん 都鳥・・・」
と伊勢物語に詠まれた隅田川は、近世以来、舟遊びや寺社めぐり、墨堤の桜、両国の花火、百花園の見物等により、行楽地となると共に、文芸の対象となることも多く、多くの文人・作家を生み、育ててきました。
明治になって、武島羽衣の詞に若き天才滝廉太郎が曲をつけた「花」は新しい時代の隅田川の歌として今も愛唱されています。
春のうららの隅田川
のぼりくだりの 船人が
櫂のしずくも花と散る
ながめをなににたとうべき
隅田公園(歩く時間の目安:5分から10分)
住所:向島一丁目、二丁目、五丁目
交通:都営地下鉄本所吾妻橋から約8分、東武伊勢崎線業平橋駅から約8分
旧水戸藩下屋敷の庭園を生かして、区民の憩いの場となっている隅田公園は、桜の名所であると同時に、火除けを兼ねた区内で最も大きな公園です。
公園の泉水の北にある牛嶋神社には、臥牛の「撫で牛」と呼ばれる石像があり、自分の体の具合の悪いところを撫で、牛の同じ当たりを撫でると病気がなおると伝えられています。
この牛嶋神社は、蜀山人を始め、堀辰雄、久保田万太郎の作品にも取り上げられ、境内には蜀山人(太田南畝)の「貞観緑字」の詩碑もあります。
また、隅田公園の向かいには「美しい村」「風立ちぬ」「菜穂子」など、詩的な作品を多く残した小説家堀辰雄の旧居跡があります。
三囲神社(歩く時間の目安:1分から4分)
住所:向島二丁目5番17号
電話:03-3622-2672
交通:都営地下鉄本所吾妻橋から約8分、東武伊勢崎線業平橋駅から約8分、バス停・向島二丁目
伝説では中世の創建とされていますが、現在の社殿は安政年間の建築とされ、七福神の恵比寿・大黒天を祭っています。
江戸時代の観光案内ともいえる「江戸名所図会」に、三囲神社前を通りかかった芭蕉門下第一の高弟といわれる俳人・宝井其角が、雨乞いする村人にかわって、「夕立や」と発句し、「雨乞いの句」ができたと記されています。
こうしたことから三囲神社を俳諧の霊場と呼ぶ人もいるようです。
境内には、この雨乞いの句碑をはじめ西山宗因、富田木歩など多くの句碑があります。
長命寺(歩く時間の目安:10分以上)
住所:向島五丁目4番4号
電話:03-3622-7771
交通:東武伊勢崎線曳舟駅から約7分、バス停・向島二丁目
三代将軍家光が鷹狩りの折り腹痛を起こしたが、ここの井戸水を飲んでおさまったことから長命水と名づけられ、後に寺名となったということで、境内には長命水の石組みが残っています。
また長命寺は雪景色が美しく風情があったことから、雪景色を詠んだ松尾芭蕉の2メートル以上もある雪見の句碑、十返舎一九の狂歌碑をはじめ60基ほどの石碑が群立しています。
隅田川七福神の弁財天を祭った寺で、江戸時代から続く近くの長命寺桜餅は墨堤の桜の葉を使ったアイデア商品でした。
墨堤植桜の碑(歩く時間の目安:5分から10分)
住所:向島五丁目1番
交通:東武伊勢崎線曳舟駅から約7分、バス停・向島二丁目
古来隅田川は、場所や時代によって、大川、浅草川、墨水、澄江と呼称されました。
近世になって、水難を避けるために利根川の水路つけかえが行われ、以後築堤がすすみます。
享保2年(1717年)、八代将軍吉宗の命により堤に桜が植えられたことにより、墨堤の桜として江戸の名所となり、詩文に詠われ、浮世絵師が競って題材としました。
明治20年建碑、榎本武揚の筆になる「墨堤植桜の碑」はその経緯が述べられています。
露伴児童遊園(歩く時間の目安:5分から10分)
住所:東向島一丁目7番11号
交通:東武伊勢崎線曳舟駅から約7分
文豪幸田露伴は下谷の生まれで、明治21年処女作「露団々」を発表して文学生活に入りました。
明治26年長兄を頼って寺島へ来住し、以来大正13年までの約30年間この地に住むことになります。
この間「枕頭山水」「五重塔」「風流微塵蔵」など広い分野で多くの作品を残し、現在露伴児童遊園となっている蝸牛庵の庭で門弟たちと剣道や弓・相撲などを楽しんだといいます。
向島百花園(歩く時間の目安:1分から4分)
住所:東向島三丁目18番3号
電話:03-3611-8705
交通:東武鉄道東向島駅から約8分、バス停・百花園前
【料金・開園時間】
・開園時間:午前9時から午後5時まで(入園は午後4時30分まで)
・入園料:一般及び中学生150円
・休園:年末・年始(12月29日から1月3日まで)
百花に先駆けてまず梅が咲き、山吹、河原撫子、桔梗、女郎花、萩、薄、不如帰、山茶花と百花園は四季花の絶えることがありません。
ここで江戸の文人墨客たちは花と親しみ、茶を喫し、詩歌をもてあそんで時を忘れました。
園内には隅田川七福神の福禄寿が祭られ、芭蕉の句碑、山上憶良歌碑など30数基の碑も点在しています。
8月下旬には「虫聞きの会」、中秋の3日間は「月見の会」など風流な催しが行われており、萩のトンネルから見る中秋の名月は文人墨客ならずとも詩心を誘われます。
梅若公園(歩く時間の目安:5分から10分)
住所:堤通二丁目
交通:東武鉄道鐘淵駅から約3分、バス停・水神前
墨堤通りに面した小さな梅若公園には大正2年に建立された榎本武揚の銅像があります。
ここは元来、木母寺や梅若塚のあった緑濃い一角だったのですが、東京都の防災拠点建設の改造事業により移転しこの銅像のみが取り残された形となりました。
榎本武揚は江戸幕府瓦解の時、軍艦8隻を率いて北海道に逃れ、独自の共和国建設を夢見て官軍に抵抗し敗れました。
後に許されて明治政府の逓信・文部・外務大臣を歴任し子爵に列せられました。
晩年は向島に隠棲し、墨堤で馬を走らせる姿が時々見かけられたということです。
木母寺、梅若塚(歩く時間の目安:5分から10分)
住所:堤通二丁目16番1号
電話:03-3612-5880
交通:東武鉄道鐘淵駅から約3分、バス停・木母二丁目
木母寺は中世の「梅若伝説」ゆかりの寺で開基は古く、平安の中ごろとされています。
平安中期、吉田少将惟房の子「梅若丸」が人買いにかどわかされ、関東に下る途中病気になり、隅田川のほとりで
「たずね来て とわばこたえよ みやこどり すみだ河原の露と消えぬと」
の一首を残し、十二歳で世を去りました。
来あわせた天台宗の高僧忠円阿闍梨が梅若のために塚を築き柳の木を植えて供養したといいます。
この悲話は 謡曲「隅田川」、浄瑠璃「隅田川」、長唄などにうたわれ、また、戯作や小説にもなって多く人の涙を誘いました。
境内には梅若塚をはじめ石碑も多く、浄瑠璃塚や歌曲「隅田川」の碑などがあります。
また、「幕末の三舟」と言われた山岡鉄舟の揮毫、高橋泥舟の筆になる「三遊塚」(明治22年、落語家三遊亭円朝の建碑)も興味深いものです。
