隅田川七福神めぐり(墨田区登録無形民俗文化財)
順路
全行程約120分
1 三囲神社(向島二丁目5番17号)
徒歩4分
2 弘福寺(向島五丁目3番2号)
徒歩3分
3 長命寺(向島五丁目4番4号)
徒歩15分
4 向島百花園(東向島三丁目18番3号)
徒歩5分
5 白鬚神社(東向島三丁目5番2号)
徒歩25分
6 多聞寺(墨田五丁目31番13号)
隅田川七福神とは
文化元年(1804年)に佐原鞠塢(さはらきくう)により向島に百花園が開かれました。鞠塢には多くの文人仲間があり、彼らが集ううちに、鞠塢の所有する福禄寿を使って七福神ができないかという話になりました。
多聞寺の毘沙門天、長命寺の弁財天、弘福寺の布袋尊、三囲神社の恵比寿・大国神まではよかったのですが、寿老人だけが見つからずに思案を凝らした結果、百花園近くの白鬚神社に目をつけました。白鬚というからには、祭神は老人に違いないということになり、「寿老神」としてしまいました。
最近、白鬚神社の寿老人が知られていたという説も出されました。
このようにして、隅田川七福神は完成し、向島の情趣にさらなる楽しみを加えた。
全行程は約1里。新春を寿ぐ江戸の人々にとり、初詣や散策にとっては格好の場所になりました。
備考1:なお、隅田川七福神めぐりは墨田区の伝統的風俗慣習として貴重な年中行事であり、保存を図る必要があるとして平成15年10月16日に墨田区無形民俗文化財に登録されました。
三囲(みめぐり)神社
住所:向島二丁目5番17号
・恵比寿 清廉(せいれん)の心をもつ
もとは天照大神の兄弟といわれ、兵庫県西宮神社が恵比寿神の廟といわれています。豊漁の神ですが、釣りざおを持つところから、清廉な心をもつ神として古くから商業関係者から慕われます。
・大国神 知足(ちそく)の心をもつ
もとはヒンドゥー教の神で後に仏教の神となりました。(この場合、大黒天と書きます)釈迦は「自由自在な神通力から富と財を人々に与えようとしている」と説きました。日本では、中世に大国主命と同一視され、恵比寿とともに福徳の神となり親しまれています。
三囲神社は、中世に三井寺の僧源慶が、一体の稲荷神像を掘り出したとき、どこからともなく白狐が現れ、稲荷神像のまわりを3回めぐったのちに去りました。ゆえに、三囲神社と名付けられました。江戸時代になり、三井家が篤く信仰するようになりました。
松尾芭蕉の高弟・宝井其角の雨乞いの句碑があることでも有名です。
備考1:恵比寿、大国神は本社左手のお社にお祀りされています。
弘福寺
住所:向島五丁目3番2号
・布袋尊 度量(どりょう)がある
中国に実在した禅僧・契此(かいし)が、死後、神として人々から信仰されるようになったものです。いつも満面の笑みをたたえ、いつも人から施されたものを一つの袋に入れて持ち歩いていたため、布袋さんと呼ばれていました。その中身は尽きることがなかったといいます。
弘福寺は、鉄牛禅師を開山に迎えて開かれた黄檗宗の寺院で、大雄宝殿は京都万福寺を模して建てられました。大雄宝殿の中には黄金に輝く布袋尊像があります。
境内には、喉の病気に効くという咳の爺婆尊、池田冠山の墓(区登録文化財)などがあります。
長命寺
住所:向島五丁目4番4号
・弁財天 愛敬(あいきょう)がある
大黒天同様、ヒンドゥーの神から仏教の守護神となった川の神です。音楽・弁舌・財福・知恵の神として慕われます。長命寺の弁財天は、琵琶湖にある老女弁天を分霊したものです。七福神のなかで、唯一の女性神です。
長命寺は、もと常泉院と号しました。3代将軍徳川家光が鷹狩に訪れた際、体調を崩して同寺に休息したとき、ここの水で薬を服するとたちまちに回復したので、家光より「長命寺」と寺号を授かった。
江戸時代は雪見の名所として知られ、多くの人々が訪れました。成島柳北の記念碑や松尾芭蕉の雪見の句碑(区登録文化財)があります。
向島百花園
住所:東向島三丁目18番3号
・福禄寿 人望(じんぼう)をもつ
幸福・俸禄(金銭)・長寿の三徳を備える神。寿老人と同一であることも。背が低く長頭で長い髭をもち、杖に経巻を結び付け、鶴を従えています。百花園の福禄寿は鞠塢遺愛の品で、非常に穏やかな表情をしています。
備考1:向島百花園は国の史跡および名勝に指定されています。
最初は、鞠塢の友人たちが贈った360株の梅からスタートしたものですが、のちに四季折々の草花が植えられ、自然のままの趣を大切にした庭園となっていきました。
現在は都立公園となっています。
白鬚神社
住所:東向島三丁目5番2号
・寿老神 長生きする中国の伝説上の人物です。頭に頭巾をかぶり、白髪で、全ての人間の寿命が書かれた巻物を杖に結び、鹿を連れています。
白鬚神社の寿老神は祭神であるため、「寿老人」ではなく、「寿老神」としています。区内最古の神社のひとつといわれます。
平安時代に慈恵大師が関東に下ったおり、滋賀県に鎮座する白鬚大明神の分霊を勧請して祀ったのが始まりといわれます。
狛犬は文化12年(1815年)当時花柳界で知られた吉原の松葉屋半右衛門と山谷の料亭八百善の奉納したもの。境内には、加藤千蔭や大窪詩仏らの石碑があります。
多聞寺
住所:墨田五丁目31番13号
・毘沙門天 威厳(いげん)を持つ
仏教を守護する四天王の一神。多聞天ともいい、北方を護っています。
戦国時代の名将上杉謙信が、毘沙門天にあやかって「毘」の字を旗印にしていたことは、よく知られています。
多聞寺は、平安時代の創建といわれ、最初は不動明王が本尊だったようです。場所も隅田川沿いでした。
戦国時代に現在の場所に移り、弘法大師作と伝わる毘沙門天像を勧請、現在隅田山吉祥院多聞寺と改称したといわれています。
山門脇の「毘沙門天」の石碑は、榎本武揚の筆によるものです。
