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百花園と江戸の花園展

更新日:2007年2月20日

開催期間:平成12年12月23日(祝日)から平成13年1月21日(日曜日)まで

佐原鞠塢(さはらきくう)が開いた向島百花園(現・墨田区東向島)は、江戸後期を代表する名園の一つと言われています。その名が示す通り、百花園は、四季を通じて様々な花が咲き乱れる名所として知られ、江戸の人々の遊覧スポットとして有名でした。またそれだけではなく、大田南畝(おおたなんぽ)や大窪詩仏(おおくぼしぶつ)等、江戸後期文化を担う文人墨客がここに集い、当時の最先端文化の発信源でした。
 しかし百花園の文化は、佐原鞠塢等、文人達の独創的な力により、この地域に突如として芽生えたわけではありません。百花園だけでなく、隅田川東郊一帯は、文人達が集う数多くの名園が散在する、江戸郊外の緑園地帯とも言える地域だったのです。
 また、当時の江戸に暮らす人々は、日常の憩いを求めて園芸に熱中していました。上は大名の庭園造りから下は庶民の鉢植え作りに至るまで、その熱狂ぶりはまさに現在のガーデニング・ブームの先駆けをなし、人々は鑑賞用の植物を求めて、競って郊外に繰り出しました。すでに江戸に出荷する蔬菜(そさい)類の栽培で成功していた隅田川東郊の農民や町人達は、こうした需要に応じ、園芸植物を栽培する「植木屋」として発展し、やがて自らの所有地に開放庭園を整備し始めます。亀戸梅屋敷や堀切菖蒲園、本所四ツ目芍薬(しゃくやく)園(牡丹園)など隅田川東郊を代表する花園の成立は、こうした「植木屋」の発展と深く結びついています。
 展示会では、百花園を中心に、江戸時代、隅田川東郊一帯に散在した様々な名園を紹介し、その文化を支えた「植木屋」や文人達にスポットを当て、江戸時代の庭園文化に当地域が果たした役割や意義について紹介しました。

主な展示資料
・明治時代の「浩養園」 (写真)
・「江戸名所亀戸梅屋敷」 初代歌川広重画
・「東都三十六景 向島花屋敷 七草」 二代歌川広重画

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