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企画展「お江戸のガイドブック 江戸名所図会でたどるすみだの名所」

更新日:2007年2月20日

開催期間:平成15年9月20日(土曜日)から11月9日(日曜日)まで
 その昔、徳川家康が幕府を開いた頃の江戸には、木母寺周辺などのわずかな名所しかありませんでした。それが、寛永年間(1624年から1644年)以降になると、人口の増加とともに、都市の整備が進み、江戸が発展して行く過程で、あちこちに名所が生まれました。そして、江戸の内外・貴賎を問わず、多くの人々が遊楽を求めて、これらの名所を訪れるようになりました。
 こうした中で、江戸の名所について記した文献や錦絵・地誌が数多く出版されるようになり、「江戸名所図会」もそのひとつとして誕生しました。江戸の地誌の集大成と評される「江戸名所図会」ですが、今のガイドブックのように色鮮やかではありませんが、情報量の多さと、挿絵の緻密さは引けを取るものではありません。
 この展示では、「江戸名所図会」に集録された代表的なすみだの名所であった両国・柳島・向島周辺を取り上げ、錦絵などを用いながら、当時の人々がたどったような名所めぐりを設定して紹介しました。

主な展示資料

・「江戸名所図会」:天保5年(1834年、明治26年改版)、斎藤長秋・県麻呂・月岑著、長谷川雪旦画
・江都三囲稲荷之前堤之景:天保年間頃(1830年から1843年)、英泉

「江戸名所図会」について

 江戸とその近郊を全7巻20冊で紹介した地誌。天保5年(1834年)正月に前編の10冊が、同7年夏に後編の10冊が出版されました。著者は、神田雉子町(現・千代田区)の名主・斎藤幸雄(長秋)・子の幸孝(県麻呂)・孫の幸成(月岑)で、挿絵は長谷川雪旦が担当、板元は日本橋の須原屋茂兵衛と茅町(現・台東区)の須原屋伊八でした。内容は、1,043ヵ所の神社・仏閣・名所古跡といった名所の沿革や由来を述べるとともに、雪旦によって描かれた詳細な挿絵754点がふんだんに盛り込まれています。本書の多くは、江戸の土産や行楽の手引きとして買い求められました。また、江戸の様子を伝えるものとして江戸から遠い人々も買い求められました。江戸の様子を知る手段として最も適した出版物であるということは、本書が慶応3年(1867年)に開催されたパリ万国博覧会へ出品されたことからも伺うことができます。

発売までの経緯

 『江戸名所図会』の刊行は、斎藤家三代の一大事業でした。幸雄による本書の序文によれば、安永9年(1780年)に刊行された京都の地誌「都名所図会」に刺激を受け、江戸でも同様の地誌を作ろうと考えたようです。寛政10年(1798年)5月には、本書刊行の許可を得た。この時は、全8冊・500丁(1,000ページ)の予定で、現行の「江戸名所図会」の約45%ほどの分量、挿絵は北尾重政が描くことになっていました。しかし、幸雄はこの翌年に死去し、編纂事業は子の幸孝に受け継がれました。
 幸孝は、挿絵を北尾重政から長谷川雪旦に代え、幸雄が編纂したものに江戸の近郊を新たに追加して、現行に近いものを準備しましたが、幸孝もまた編纂半ばの文化15年(1818年)に死去してしまいました。
 幸成は、調べ残していた飯倉・西窪・高輪・芝周辺の調査を行うとともに、序文を因幡若桜藩藩主だった池田冠山・国学者の片岡寛光・漢学者の亀田綾瀬に依頼して、出版への準備を着々と進め、祖父・幸雄から数えて約40年かかった大事業がようやく完成したのでした。「江戸名所図会」は、一両二分(10万円から15万円くらい)という高値ながら、発売約2ヶ月で品切れになるという高評価を受けました。

「江戸名所図会」でたどるすみだの名所

 「江戸名所図会」に集録された代表的なすみだの名所であった両国・柳島・向島周辺を取り上げ、3つの名所めぐりコースを設定してみました。

「江戸名所図会」の今をたどる

 「江戸名所図会」のうち、墨田区域については45項目・25点の挿絵が収められています。ここでは、すみだ郷土文化資料館ボランティアの会のみなさんが撮影した現在の名所の様子を紹介しました。

お問い合わせ

このページはすみだ郷土文化資料館が担当しています。

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