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企画展「隅田川七福神と江戸の文人たち」

更新日:2007年2月20日

開催期間:平成15年12月27日(土曜日)から平成16年1月25日(日曜日)まで
 新しい年の始まりを告げる江戸東京の風物詩・隅田川(向島)七福神めぐり。それは、江戸後期の文化年間(1804年から1818年)に、佐原鞠塢が開いた向島百花園に集う、大田南畝・加藤千蔭・酒井抱一などの名だたる文人たちによって始められました。
 江戸後期以来の伝統を持つ隅田川七福神めぐりは、平成15年、墨田区無形民俗文化財に登録されました。また、平成16年は、百花園開園200年目にあたる記念すべき年でもあります。こうした事情に鑑み、今回の七福神展では、特に隅田川七福神の成立過程に重点を置き、百花園に集う文人たちにスポットを当てる展示を行いました。

隅田川七福神の資料

隅田川七福神の資料

隅田川七福神の資料

隅田川七福神の資料

再説・隅田川七福神の成立、大田南畝の役割

 一般に、隅田川七福神の成立は、次のように語られるのが常である。
 ・・百花園に集う文人たちは、園主・佐原鞠塢が愛蔵する「福禄寿像」(展示写真)に目をつけ、ついで多聞寺の毘沙門天、長命寺の弁財天、三囲神社の恵比寿・大国の二神像、弘福寺の布袋和尚像に次々に着目し、向島に七福神を揃えることを思い立った。しかし、寿老人だけは該当する場所がなかったため、文人たちは機転をきかせ、寺島村の鎮守・白鬚明神を白い鬚を生やした老人の神に見立てて、寿老人(神)をこれに充て、めでたく七福神を向島に揃えることができた・・。
 これによれば、白鬚神社の寿老人は、文化元年(1804年)、百花園が出来てから、隅田川七福神の中で最後に選ばれた神とされている。しかし、白鬚明神を寿老人(神)に見立てる考え方は、百花園ができる以前、18世紀後半にすでに大田南畝によって語られており、むしろ史料からは、通説とは逆に、隅田川七福神のうち、最も古くから注目されていたのは白鬚神社の寿老人(神)であったことが知られる。
 大田南畝は、天明4年(1784年)刊の「返々目出鯛春参」(展示資料)の中で、(1)深川の夷の宮、(2)本所五百羅漢の布袋、(3)向島の白鬚大明神(寿老人)、(4)上野池之端の弁才天、(5)小石川伝通院の大黒天、(6)麹町善国寺の毘沙門天、(7)星ヶ岡から拝んだ南極星(福禄寿)を江戸の七福神に選んでいる。つまり、百花園が成立する20年前に、大田南畝が選んだ江戸の七福神のうち、向島からは白鬚明神(寿老人)だけが登場している。また、南畝は、義薫が描いた寿老人の画幅に賛を記し(展示資料)、寿老人への格別のこだわりを持っていたようである。
 こうしたことから、向島の七福神は、百花園ができる以前に、大田南畝に着目された、白鬚明神と寿老人との関係から始まり、百花園が出来た後、その他の七福神が整備された、と考えるのが妥当であろう。

主な展示品

・「返々目出鯛春参」:大田南畝作、天明4年(1784年)刊、すみだ郷土文化資料館
・「寿老人画幅」:大田南畝賛、義薫画、江戸時代後期、すみだ郷土文化資料館
・「恵比寿・大黒画幅」:千家尊福賛、明治18年(1885年)、すみだ郷土文化資料館
・「江都三囲稲荷之前庭之景」:渓斎英泉画、天保年間(1830年から1843年)、すみだ郷土文化資料館


七福神めぐりについては「隅田川七福神めぐり」ホームページへ

お問い合わせ

このページはすみだ郷土文化資料館が担当しています。

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