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企画展「今と昔の橋物語 隅田川に架かる橋」

更新日:2007年2月20日

平成15年2月1日(土曜日)から平成15年4月20日(日曜日)まで
 墨田区は、川に囲まれた地域で、江戸時代以降は縦横に水路が張り巡らされていました。川や掘り割りは、水運や生活のために必要不可欠なものですが、一方で陸上交通を遮断する存在でした。しかし川に橋が架けられることによって、人々の往来が可能となり、地域と地域とを結ぶ重要な結節点となっていきました。
 墨田区でもっとも重要な河川は隅田川であり、古代から現代に至るまで様々な場面で登場しています。隅田川を渡る手段として、すでに古代において渡船の存在があり、橋が架けられた記録は中世にまで遡(さかのぼ)ることができます。ただし、人々が往来するための本格的な架橋は江戸時代になってからのことでした。そして、明治時代以降に近代建築が導入されるようになると、隅田川初の鉄橋「吾妻橋」は近代化を示す象徴となり、東京の名所の一角を形成し、錦絵や写真が数多く残されています。
 本展示では、隅田川に架かる橋の変遷をたどり、我々にとって橋はどのような意味があるのかをもう一度考えてみました。

隅田川に架かる今の橋

水神大橋
昭和63年(1988年)完成、長さ157.0メートル、幅17.0メートル
橋名は、左岸に水神様と信仰される隅田川総鎮守の隅田川神社があり、昔は「水神の渡し」があったことに由来する。

白鬚橋
昭和6年(1931年)完成、長さ168.8メートル、幅22.1メートル
橋名は、墨田区東向島にある白鬚神社に由来する。

桜橋
昭和60年(1985年)完成、長さ169.5メートル、幅12.0メートル
橋名は、両岸の隅田公園の桜に由来する。

言問橋
昭和3年(1928年)完成、長さ236.8メートル、幅22.0メートル
橋名は、在原業平の詠んだ「名にしおはば いざ言問わん都鳥 わが思う人はありやなしやと」からとった。

吾妻橋
昭和6年(1931年)完成、長さ150.3メートル、幅20.0メートル
橋名は、正式には大川橋といったが、架橋工事中から東橋(吾妻橋)という人が多く、後に正式名となった。
吾妻の由来は、一般的な江戸の東という意味を吾妻の字にかけた説と、日本武尊命の東征伝説の「吾嬬(あづま)はや」から出たもので、吾嬬神社への道筋と江戸の東という意味が重なったという説がある。

駒形橋
昭和2年(1927年)完成、長さ146.3メートル、幅22.0メートル
右岸に馬頭観世音を安置する駒形堂があり、「駒形の渡し」があった。橋名は、右岸にある駒形堂(こまがたどう)に由来する。

厩橋
昭和4年(1929年)完成、長さ151.4メートル、幅21.8メートル
西岸の台東区側に幕府の御米蔵に付属する御厩ががあり、この付近は御厩河岸(おんまいがし)といわれ、「御厩の渡し」があった。

蔵前橋
昭和2年(1927年)完成、長さ173.4メートル、幅22.0メートル
右岸一帯は、広大な幕府の米蔵(浅草御蔵)で、蔵前通りと称する大路があった。「富士見の渡し」があり、震災復興計画で昭和2年に現在の橋が架けられた。

両国橋
昭和7年(1932)完成、長さ164.5メートル、幅24.9メートル
当時は、単に大橋と呼ばれた。武蔵国と下総国に架かる橋として命名された。
東武鉄道花川戸鉄道橋
昭和6年(1931年)完成、長さ166.0メートル
電電(現NTT)専用橋
JR総武線隅田川鉄道橋
昭和7年(1932年)完成、長さ170.8メートル
首都高速6号線
昭和46年(1974年)完成

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このページはすみだ郷土文化資料館が担当しています。

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