北斎は、終生、柳嶋妙見を深く信仰していました。妙見菩薩は北斗七星(北辰)の化身といわれ、"北斎辰(とき)政(まさ)"という画号もこれにちなんだものと考えられています。北斎の熱心な妙見信仰の始まりは、絵が売れず、生活に困っていたころのことでした。五月幟(のぼり)の注文を受け、疱(ほう)瘡(そう)除(よ)けに朱色の鐘(しょう)馗(き)さまを心を込めて書いたところ、その絵をとても喜び、大金を払ってくれた人がいました。感激した北斎は、絵描きとして生涯を終えることを妙見菩薩に誓いました。