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企画展「ちょっとレトロな写真館 40年前、すみだの街角」

ページID:587259776

更新日:2007年2月20日

開催期間:平成14年6月1日(土曜日)から7月28日(日曜日)まで
 戦後の復興期から高度経済成長をむかえた昭和30年代の日本は、衣・食・住ともに大きな変貌を遂げました。そして、墨田区も経済成長の一翼をになうように発展し、国勢調査による墨田区の人口は、昭和35年(1960年)に33万1,843人という戦後最高のピークをむかえました。住宅や学校が急ピッチで建設され、自動車の増加にともない道路交通網も整備されました。また、河川の浄化や上下水道の整備、ゴミの収集改善など、よりよい町にするための生活環境づくりも進められました。
しかし、その反面で、交通量の爆発的増加や大気汚染といった社会問題が現れ始めためたのも昭和30年代からです。
 この展示会では、街の姿と区民のくらしが大きく変化していった昭和30年代のすみだの町並みを紹介しました。

主な展示写真

・東武伊勢崎線「玉ノ井駅」写真(現・東向島駅):昭和32年(1957年)6月1日撮影
・「橘館通り」写真(キラキラ橘銀座通り):昭和36年(1961年)7月15日撮影

昭和30年代とは?

 今から約40年ほど前、昭和30年代というのは戦後の混乱・復興が終わり、日本経済の繁栄がスタートした時代でした。神武景気・岩戸景気に代表される好景気をむかえ、池田内閣による「所得倍増計画」の提唱と、昭和39年(1964年)に開催された東京オリンピックは、日本の-特に東京の-町並みを一変させました。
 そして、町並みだけでなく人々のくらしも、より便利に快適なものへと変化していきました。電化製品の普及とともに、白黒テレビ・電気洗濯機・電気冷蔵庫が「三種の神器」ともてはやされ、カップラーメンやコーヒーなどのインスタント食品の登場が食生活に大きな影響を与えました。また、東海道新幹線の開通やマイカーの普及は、人々をレジャーブームへと駆り立てました。今日の私たちの生活で活躍するものの多くは、この時代に生まれ、普及したといえるでしょう。

町並みの変遷

 時代の遷り変わりとともに、すみだの町並みも大きく変わりました。戦後間もない頃は、空襲によって家を失った多くの人々が、焼け残った学校に仮住まいしたり、バラックなどの仮設住宅を建てて暮らしていました。子供たちは、焼け残った学校のわずかな教室を利用し、2部授業を余儀なくされました。やがて、昭和30年代になると、高層住宅が建設され、学校も増改築のほか鉄筋校舎も建設されると、このような住宅や学校の問題は解消されました。道路は砂利道から舗装道路へと変わり、溝も埋立てられました。

よりよい町に、生活環境の整備

 昭和30年代になると、人々の環境衛生への関心が徐々に高まっていきました。それまでの町は、河川や溝などから発生する悪臭や大量の蚊・ハエなどに悩まされていました。その原因は、工場や家庭から流される排水とゴミの不法投棄、そして下水道の不備などが挙げられ、人口の増加とともに生活環境はさらに悪化していきました。
 そのため、東京都は昭和30年(1955年)7月から「蚊とハエをなくす運動」を提唱し、河川や溝の浄化と殺虫消毒、下水道の整備を進めました。また、それまで各家庭前に設置していたゴミ箱を撤去し、昭和36年(1961年)から、ポリバケツのゴミ容器を定時に決められた個所に出して回収を行なうようになりました。
 街路樹の植樹、花壇の設置といった美化運動がはじまったのもこの時代からです。昭和37年(1962年)12月より、毎月10日を「首都美化デー」と定め、町をあげて町内の清掃や緑化推進といった活動が各地でおこなわれました。

道路交通の変遷、クルマ社会のはじまり

 昭和30年代はじめの墨田区内には、国鉄総武線のほか、東武線・京成線・都電・バス・トロリーバスが走っていました。主要道路には、都電やトロリーバスの架線が縦横に張り巡らされ、庶民の足として活躍していました。また、昭和35年(1960年)には、都営地下鉄1号線(浅草線)が京成線との相互乗入れによって開通し、都心へ出るのがさらに便利になりました。
 そして、昭和30年代に到来したマイカーブームは、今日の「クルマ社会」を生み出しました。道路の拡幅・舗装が進み、曳舟川は埋立てられて、道路となりました。昭和36年(1961年)には、首都高速道路6号線の工事もはじまりました。自動車を中心としたスピード優先の時代へと進む一方で、自動車の急増は、排ガス公害や交通渋滞、悲惨な交通事故の急増を引き起こしました。排ガスによるスモッグが空を覆うようになり、交通事故を防止するためのガードレールや横断歩道橋がこの頃から設置されるようになりました。そして、自動車と道路を共有していた都電とトロリーバスは、交通渋滞の頻発からダイヤが不規則となり、昭和47年(1972年)11月までに都電荒川線を除くすべての路線が廃止となりました。
 自動車をめぐる渋滞や事故、排ガスの環境問題は、40年経った今日もなお課題となっています。

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このページはすみだ郷土文化資料館が担当しています。