葛飾北斎は、80歳を過ぎてから4回も小布施町を訪問したとされており、岩松院の肉筆画「八方睨(にら)み鳳(ほう)凰(おう)図」のほか、多くの肉筆画を残しています。なぜ、北斎は小布施にいくつもの名作を残したのでしょうか。そこには、髙井鴻山という人物が深く関係しています。その関わりについて、髙井鴻山研究の第一人者、髙井鴻山記念館の金田功子さんにお伺いしました。
金田功子さん 平成元年3月、「ひいらぎ書房」を設立し、25年間「ふるさと小布施あんない 栗の詩(うた)」の出版を続けてきました。第50号の発行を終え、25年11月1日に髙井鴻山記念館館長に就任。30年4月からは主席研究員として研究を続けています。