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更新日:2018年10月31日
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回答
「すみだ川」の名が登場したのは、西暦835年のこと。当時の政府の公文書に「住田河」と記されています。この「住田」が、どのように読まれていたのかは定かではありませんが、川の三角州に田を作ったという意味で「すだ」と呼ばれていたと考えられています。その後、平安時代の伊勢物語では、「すみだ川」という歌が詠まれ、すみだ川の名が全国に広まっていきました。このほかの記録には、「隅田」をはじめ「墨多」「住田」「澄田」など、いくつかの字を当てていますが、読み方は語感のよい「すみだ」に定着したようです。江戸時代以降、川の周辺は、桜の名所としてはもちろん、両国の川開きや向島百花園、七福神めぐりなど、多くの人に親しまれ、その当時から、この川の堤を「墨堤」と呼ぶようになり、漢詩などに好んで使われるようになりました。しかし、川の名称は定まらず、「大川」や「浅草川」と愛称で呼ばれ、また公的な文書では「荒川」とされていました。明治29年に制定された旧河川法でも、荒川の一部ということで一括して荒川と呼ばれています。その後、河川法が見直され、法的にも正式に「隅田川」となったのは、昭和40年になってからです。
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