大正12年9月1日、その日から、100年が経ちました。
関東大震災により、墨田区は本所地域を中心に大きな被害を受け、死者は4万8千人にも達しました。特に、現在の東京都慰霊堂がある陸軍被服廠跡地には、大旋風を伴った
倒壊や火災、その混乱の中で尊い命を奪われた全ての方々の無念を思うと、悲しみが尽きることはありません。謹んで哀悼の誠をささげるとともに、御遺族の皆様に、深く追悼の意を表します。
震災後、多くの負傷者や被害に遭われた方々が救助を求める中、社会福祉団体や地域の皆さんなどのボランティアによって、食事提供、宿泊、医療、託児など、様々な被災者支援が行われました。これらの活動が、今日の墨田区の地域福祉や地域医療、自主防災組織等の助け合いの輪、そして地域コミュニティの礎となりました。その後の東京大空襲においても甚大な被害を受けましたが、“すみだ”のまちは、その度にたくましく復興を遂げてきました。力強いその思いは、建物等の不燃化や耐震化など、都市の防災や減災の取組へとつながり、長い年月をかけ、多くの方々と連携しながら、今も継続しています。
現在、この東京では、マグニチュード7クラスの「首都直下地震」がいつ発生してもおかしくない状況にあるといわれており、対策の強化が求められています。新型コロナウイルス感染症という未曽有の危機を人と人との温かく強いつながりの力で乗り越えてきた墨田区は、引き続き、地域力を源に、ハードとソフトが一体となった防災・減災対策に取り組んでいきます。
関東大震災から100年という節目に当たり、改めて、その災禍に思いを致し、震災からの復興と発展を成し遂げた先人の懸命な御努力への感謝の気持ちを込め、より一層災害に強いまちをめざして、着実に歩みを進めていく決意です。
安全で安心なまち“すみだ”を未来の世代に引き継いでいくため、今後とも不断の努力を重ねていくことをここに宣言し、関東大震災100年の誓いとします。
令和5年9月1日
墨田区長
山本 亨