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すみだ区報(墨田区のお知らせ「すみだ」) 2025年1月1日号

 区内在住者初となる「重要無形文化財の保持者(いわゆる人間国宝)」に選ばれた落語家の五街道 雲助師匠をお招きし、新春対談を行いました。
 人間国宝の認定を受けた際の話や、墨田区に住み続けているからこそ分かる区の魅力などを伺いました。
[問合せ]広報広聴担当 電話:03-5608-6223

人間国宝の認定の連絡を受けた際の気持ちを教えてください。

師匠 文化庁から突然、電話がかかってきたんです。私が人間国宝の候補になっていることなど全く知らなかったので、仕事の依頼かと思ったら、「あなたが人間国宝に選ばれました」とおっしゃる。ずっと(だま)されていると思っていましたが、京都の文化庁で認定を受けて、本当の話だとやっと分かりました。人間国宝は、私がもつ技芸を後世に伝える立場。認定されて(うれ)しい反面、今は責任感の方が強いですね。

認定後、周囲の反応や師匠自身の中での変化はありましたか?

師匠 過去に「紫綬褒章」などを受章しましたが、そのときより何倍も大きな反響がありました。寄席でお客さんに大きな拍手をされて「待ってました、国宝!」なんて言われるんです。寄席には、最後を飾る“トリ”の前に、短い演目を披露してトリにつなげる「ひざ前」という役割があります。私がひざ前を務めるときも、軽い演目をやってトリにつなげたいのに、お客さんから「たっぷり(やって)!」と言われて困ることがありますが、喜んでくれるお客さんは多いですね。「(はなし)家は世情のあらで飯を食い」という言葉があるように、落語には酒飲みや夫婦(げん)()など、様々な人が登場する演目が多いんです。人間国宝になったからと言って、そんな演目をやらないわけではなく、()()な話も好んで披露していますね。

さらに、区では昨年9月に雲助師匠を墨田区名誉区民として選定しました。

区長 師匠は区民初の人間国宝認定者ですし、ぜひ名誉区民にとお話をしたらご快諾いただき、区議会で全会一致の同意が得られました。これで3人目の名誉区民となります。1人目は世界のホームラン王である王 貞治氏、2人目は押絵羽子板師の故・西山 幸一郎氏です。

師匠 名誉区民として選定されたことは、大変に栄誉なことで、ありがたいと思いますし、何よりとても嬉しかったですね。今年で77歳になりますが、生まれてから今までずっと本所に住んでいます。私の父は本所の町会長を務めていたこともあり、区に対する思い入れや愛着が、父から子である私にもしっかりと受け継がれていました。だから、名誉区民に選ばれたことを亡き父に知らせたら、とても喜ぶに違いありません。

師匠が区に期待することは何でしょうか?

師匠 落語の演目で舞台になっている場所は、墨田区が一番多いと思います。区内の古い地名もたくさん登場します。その影響で、実は区内在住の落語家が多いんですよ。私が今こうして落語家をしているのは、墨田区に生まれ、子どもの頃から落語に出てくるような人たちに囲まれて育ったことが大いに影響しています。母に連れられて寄席に通っていたこともあって、落語家の“下地”ができていたんですね。墨田区は、私に落語家になるきっかけをくれた、ありがたい土地です。区民の皆さんにも落語を聞いてもらって「落語ってこういうものなんだ」「墨田区にはこういう土壌があるんだ」と知ってもらえれば、こんなにありがたいことはありません。区に根付く落語文化を、ぜひ()かしてもらいたいです。墨田区が「落語のまち」として発展してくれたら、とても素晴らしいですね。

区長 師匠から区と落語のつながりも伺えたので、「落語のまち」として落語の魅力を広く発信していこうと考えています。落語家の皆さんと意見交換をして、まちをより一層明るくしたいですね。お話を伺って、落語をはじめとした芸能、音楽など、区にある文化資源を後世につなげることが、非常に大事だと改めて思いました。区の歴史や観光資源を掘り起こし磨いて、観光客や区民の皆さんに伝えていきたいです。「墨田区総合的芸術祭(仮称)」の来年の開催に向けて、伝統文化や舞台芸術など、いろいろなジャンルがコラボできると良いと思います。

墨田区で生まれ育った師匠が思う、区の魅力とは何でしょうか?

師匠 昔と比べると希薄になりましたが、昔ながらの下町人情はまだまだ残っていますよね。人間国宝の認定が発表された後に近所を歩いていたら、知らない人が寄ってきて「いやぁ師匠おめでとう。師匠、本所(在住)だってな。俺も本所なんだよ、本所は大したもんだ。勝 海舟だろう、葛飾 北斎だろう、五街道 雲助、教科書に載るなぁ」と言われました。わざわざ近寄ってきてお祝いを言ってくれるような、親しみやすさや人情はまだ残っていますね。

区長 私も向島で生まれ育って、今も住み続けていますが、人の温かさや優しさがありますよね。やはり下町の雰囲気がとても良いと、私自身、毎日実感しながら生活しています。区の魅力を子どもたちなど次の世代につなげていきたいと思います。

区内には多くの良い場所がありますが、あえて好きな場所を挙げるとしたら、どこですか?

師匠 古い町並みが残るところは良いですよね。以前、鳩の街通り商店街に住みたいと思ったときがありますが、空きがなくて住めなかったんです。やはりああいう(かい)(わい)は、良いと思いますね。

区長 鳩の街通り商店街は、私の実家のすぐ近くです。本当に落ち着く町並みですよね。そこを行き交う人や声を掛けてくれる人たち。まさに下町の雰囲気が残っていて良いところです。それから、東京スカイツリー®ができて、皆さんがそれを見て、墨田区はあそこと思ってもらえるシンボルが区内にあることも最近の魅力だと思います。新しいものと古いものが、しっかり両立していますよね。

最後に、新年の抱負を教えてください。

師匠 「世の中スイスイ、お茶漬けサラサラ」です。嫌なことがいろいろある世の中ですけど、あまり思い詰めないで、お茶漬けを「サラサラ」かきこむように、「スイスイ」と粋に生きた方が良かろうという意味です。今年がどういう1年になるか分からないけれど、皆さんそれぞれが「良い年にしよう、良い年にしよう」と思うと、少しずつそっちの方に向かっていくと思います。ぜひ、良い年にしましょう。

区長 今回の対談を通して、落語の持つ力や笑い、笑顔が大事だと分かりました。私の抱負は、「笑顔いっぱい楽しい年に」です。区民の皆さんが、笑顔でいられる時間が長いことが本当に大切だと思います。私自身も笑顔たくさんの年にしていきたいです。

 新春対談(完全版)は、区公式YouTubeチャンネルをご覧ください。
 墨田区のお知らせ「すみだ」掲載内容以外にも

  • 新春落語の披露
  • 落語家をめざしたきっかけ
  • 人間国宝認定のきっかけとなった「古典落語」の復活
  • 落語界の未来
  • 寺島中学校落語研究部との交流

などがご覧になれます。

落語家
五街道 雲助師匠

 昭和23年本所生まれ。昭和43年に10代目金原亭 馬生師匠に入門。二つ目に昇進した昭和47年に前座名「金原亭 駒七」から6代目五街道 雲助に改名。そして昭和56年に真打昇進。師匠亡き後は、口演速記本等から三遊亭 圓朝師の大作を復活させるなど、独自の芸を作り上げ、東京の落語会をけん引する本格派の演者の1人として活躍中。趣味はパソコン製作、沖縄でのシュノーケリング、トライク(三輪バイク)。

墨田区長
山本 亨

 昭和36年向島生まれ。大学卒業後、保険会社に就職。その後、都議会議員である父の秘書を経て、平成19年に墨田区議会議員選挙に立候補し初当選。2期にわたり区議を務める。平成27年に墨田区長選挙に出馬し、初当選(現在3期目)。「すみだの夢」の実現に向け、区民とともに区政運営を行う。趣味は剣道(教士七段)。最近の元気の源は、いろいろな世代の皆さんと食事をおいしく食べ、飲み、楽しく語らうこと。

このページは広報広聴担当が担当しています。