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すみだゆかりの名代官・江川坦庵 幕末の危機への対応

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更新日:2007年2月20日

平成13年1月27日(土曜日)から平成13年2月18日(日曜日)まで

江川坦庵(えがわたんなん)は、江戸時代末期に幕府代官として活躍しただけでなく、黒船来航に象徴される国難の中、海防、教育、外交など多方面にわたりその才能を振るった人物です。彼の江戸屋敷は本所に(現・亀沢一丁目)にあり、彼が没したのもこの地でした。
 この企画展では、お台場の建設や反射炉の築造など江川坦庵の事蹟を中心に、本所の江川邸にやってきた佐久間象山やジョン万次郎らさまざまな人物との交流の様子を紹介しました。

江川坦庵は江戸幕府の世襲代官江川家の36代目で、代官として有能であったばかりではなく、海防、教育、外交など多方面にわたって活躍した幕末の先覚者でした。
 代官所は韮山(現・静岡県田方郡韮山町)にありましたが、役所を兼ねた江戸屋敷が本所(現・亀沢一丁目)にあり、また、坦庵が最期を迎えたのも本所の地でした。
 この江川坦庵の、多岐にわたる業績を紹介しました。

品川台場の建設

 嘉永6年(1853)のペリー来航と開国要求は、鎖国を続けてきた幕府にとって大きな衝撃でした。それとともに、大砲を備えた黒船は軍事的な脅威となりました。
 幕府は、ペリー退去後の対応として、勘定奉行の川路聖謨(かわじとしあきら)や江川坦庵らに江戸湾の巡視を命じ、その後、彼らの進言を容れて、台場(砲台)の築造を決定しました。この台場の設計や、築造の指揮に当たったのが江川坦庵で、工事期間中は本所の屋敷と台場の間を何度も往復したことでしょう。
財政難のために途中で一部工事を中止したり、未着手に終わったものもありましたが、江川の尽力により短期間に5つの台場を完成させました。
 そのうち現在も残っているのは第3台場と第6台場の2つですが、第3台場は公園として整備され、付近は一大レジャースポットとしてにぎわっています。建設当初の目的とは全く異なる使われ方を、もし坦庵が見たら仰天するのではないでしょうか。

パン作りの祖?

 当時最新の西洋式砲術を習得し、その教授をも行った坦庵は、野戦の際などに用いるための携帯食として、乾パンに着目し、パンの製造について研究し、実際に作ってもいます。そのことから、坦庵に「パン祖」の称号が与えられています。
 坦庵以前に日本におけるパン製造の例もあり、厳密な意味では坦庵を「パン祖」と呼ぶには、無理があるかも知れません。しかし、全国パン協議会により、坦庵に「パン祖」の称号が贈られ、韮山の江川邸内には「パン祖江川坦庵先生邸」と書かれた碑が建てられ、その功績が讃えられています。

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