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企画展「被災を記憶する町 震災から空襲へ」

ページID:453443764

更新日:2007年2月20日

開催期間:平成14年8月31日(土曜日)から10月27日(日曜日)まで
 私たちが暮らす墨田区は、20世紀に入り、大正12年(1923)9月1日の関東大震災と昭和20年(1945)3月10日の東京大空襲という、2度の大きな被災を経験し、都内でも最大規模の被害を出しました。
 震災は自然災害、空襲は戦争被害であり、被災の要因と性格はまったく異なるものです。しかし、震災とその後の復興の経験と記憶は、空襲被害とその後の復興の歴史に対して深く影響を与えました。3月10日の空襲は、震災復興に始まる都市改造で新たに形成された町を襲ったものであり、空襲被害の実態と被害拡大の要因を理解するためには、震災後に出来上がった町の基本構造を把握する必要があります。
 空襲時の人々の避難方法も、町と人々の心の中に刻みこまれた震災の記憶が影響を及ぼしました。さらに空襲の後には、震災復興の経験を踏まえ、被災者に対する対策や復興の町づくりのプランが模索されました。震災と空襲の性格の違いを十分に認識しながら、その相関関係を歴史的にとらえること。それは、震災・空襲それぞれの被災の歴史を理解する上で、重要な課題になっています。
 以上のような問題意識をふまえ、今回の企画展では、震災から空襲、そして復興へと至る「被災と復興の近現代史」を、絵画や写真、地図、文献などの資料を通じて紹介しました。
 また企画展では、お一人お一人の犠牲者に焦点を当てた新たな空襲被災地図を作成しました。これは、家屋・建物などの「モノ」の被災だけでなく、「町に暮らす人間」の視点から戦争被害の意味を考える、一つの素材を提供するものです。

主な展示作品

昭和20年(1945)3月10日東京大空襲、失われた人と町「生命の被災地図」(一部分)
 戦後、昭和30年(1955)頃、東京都は約3万人分の犠牲者氏名を記録した「都内戦災殉難者霊名簿」を作成して慰霊堂に納めました。
 平成13年(2001)1月、東京都日野市でこの「霊名簿」(全29冊)の原本が発見されました。今回資料館では、この「霊名簿」の中から、3月10日における旧本所区(現墨田区)厩橋(現本所)・石原町・亀沢町・太平町の4ヶ町における約1000人分の犠牲者の住所と遭難地を調査し、さらにそれを空間的に表現するため新たな被災地図を作成しました(「東京大空襲・生命の被災地図」)。
 被災地図からは、大空襲当日の町の人々の避難の流れやその遭難地の分布を景観的に把握でき、米軍攻撃資料や被災証言と合わせて考えていけば、新たな被災事実の解明が期待されます。

期間中の講演会 終了しました

講演会「震災・空襲と墨田区」
とき:平成14年9月15日(日曜日)午前10時から正午まで
講師:一橋大学大学院、山本唯人氏

お問い合わせ

このページはすみだ郷土文化資料館が担当しています。