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企画展「ロード・オブ・ザ・七福神 江戸近郊をめぐる小さな旅」

ページID:274150330

更新日:2010年9月8日

開催期間:平成14年12月14日(土曜日)から平成15年1月26日(日曜日)まで
 新しい年のはじまりを告げる江戸・東京の風物詩「隅田川七福神めぐり」。それは、江戸時代後期の文化年間(1804年から1818年)に、佐原鞠塢が開いた百花園に集う、名だたる文人達によって始められました。
百花園(福禄寿)、三囲神社(恵比寿・大国)、弘福寺(布袋尊)・長命寺(弁財天)・白鬚神社(寿老神)・多聞寺(毘沙門天)。隅田川七福神の鎮座する場所は、七福神めぐりのはじまりによって、向島の名所として定着し、そこを拠点に江戸の行楽ブームはますます加熱していきました。
 展示では、江戸の人々を楽しませた隅田川七福神の歴史と文化、また江戸・明治期の向島の巡拝路の様子を、当時の地図・錦絵などを通じて紹介します。あわせて百花園に集う文人たちの書跡、また、そこで創始されたという隅田川焼を展示し、隅田川七福神めぐりの背景にある、江戸後期の文人文化の一端に触れました。

隅田川七福神めぐりの歴史

文化元年(1804年)、町人・佐原鞠塢は、交流のあった文人達から梅樹約360本の寄贈を受け、向島に百花園を開きました。百花園に集う鞠塢と文人達は、鞠塢が骨董商時代に入手した陶製の福禄寿に注目し、当時、流行していた谷中・七福神めぐりの賑わいを百花園周辺にも求めたいと考えるようになり、福禄寿以外の神々を向島の寺社に探索したのです。
まず、多聞寺に毘沙門天が、長命寺に弁財天が祀られていることが判明。さらに詮索を重ねると、三囲神社に享保(1716年から1736年)頃から商売繁昌の神として祀られた恵比寿・大国二神像が、弘福寺に鉄牛禅師の開創以来、黄檗禅に関係の深い布袋和尚の木像があることが分かり、残るは寿老人のみとなりました。文人達は奇知を発揮し、百花園のある寺島村の鎮守・白鬚明神の神名が白い髭を生やした老人を連想させることから、この神を寿老人に当てはめたのです。ただし、神社の祭神という点に敬意をはらい、隅田川七福神では「寿老神」と表すこととしました。
隅田川七福神は、江戸後期・向島の名所ブームと、百花園で開花した文人文化が結びついて生み出されたと言えます。
隅田川七福神めぐりは、明治時代、一時下火になりましたが、明治31年(1898年)に隅田川七福会が発足。同41年(1908年)には、当時向島に住んでいた榎本武揚ら著名人が、各所に七福神の石碑を建てたことから人気が復活し、現在に至っています。

主な展示品

「福神隅田川遊覧絵巻」:曙峯画、江戸時代後期、すみだ郷土文化資料館
「武蔵国隅田川名所絵図」:西村源六板、天保年間(1830年から1844年)、すみだ郷土文化資料館
「隅田川八景 白鬚落雁」:二代歌川広重画、江戸時代後期、すみだ郷土文化資料館
「漢詩七言絶句」:大田南畝書、すみだ郷土文化資料館
七福神めぐりについては「隅田川七福神めぐり」ホームページへ

お問い合わせ

このページはすみだ郷土文化資料館が担当しています。