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特別展「東京空襲60年3月10日の記憶」

ページID:348076027

更新日:2007年5月30日

開催期間:平成17年1月22日(土曜日)から4月10日(日曜日)まで
 平成17年3月10日は、墨田区に甚大な被害をもたらした東京大空襲から、60年目の節目の年にあたります。しかし現在、被災者の高齢化とともに、空襲の記憶は次第に薄れてきつつあります。空襲体験者の記憶を、聞き取りなど様々な方法で記録にとどめ後世に伝えていくことは、現在、緊急の課題となっています。
 東京大空襲の記録は、空襲被害の大きさにもかかわらず、その実相について不明瞭な点が多いのが特徴です。空襲被害状況の把握は、町の焼失範囲や建物などの被災状況を断片的に記録するものが多く、とりわけ、最も大切な「人」の被災事実自体が明確になっていません。たとえば大空襲による総死者数すら、約10万人以上という曖昧な統計的把握にとどまっているのが現状です。そこで当館では、江戸東京博物館・豊島区立郷土資料館と共同調査を実施し、その成果を空襲犠牲者の居住地・死亡場所を示した被災地図にまとめ、空襲による人的被害の実相の把握を目指しました。
 一方、当館では、平成15年度と16年度の2カ年にわたり、空襲の直接体験者から、体験を自ら描いた絵画を募集してきました。空襲による「人」の被害は、空襲当日の犠牲者だけにとどまりません。大切な家族を亡くし、自らも傷害を負うなど、苦悩を抱えながら戦後を生き続けてきた体験者一人一人の心の中に刻まれた傷痕も、また大きな人的被害といえます。体験画は、傷つけられた体験者の「心」を映し出す、痛ましい記録なのです。
 本展では、空襲でかけがえのない命を失われた方々の「記録」、また心に戦争の傷痕を抱える体験者の方々の「記憶」を、被災地図と絵画を通じて紹介し、空襲被害を受けた「人」の視点から、東京大空襲の真実をとらえていきたいと考え、展示を構成しました。

東京大空襲

東京大空襲

東京大空襲

主な展示作品

1945年(昭和20)3月10日厩橋のたもと~引き上げられた遺体(古川千賀子 画)

1945年(昭和20)3月10日厩橋のたもと~引き上げられた遺体(古川千賀子 画)
手記から抜粋:
古川千賀子さん 空襲当時の年齢:24歳
 当時私は、夫と4人の子供とともに浅草に住んでいた。戦時中、家族で世田谷の親戚の家に疎開したが、夫だけ3月9日に所用で浅草の両親の実家に出かけていった。翌10日未明、東京の下町は激しい空襲に遭い、世田谷からも真っ赤な炎が確認できた。夜が明けて後、私は浅草に赴き、夫と両親を捜し回った。夫は厩橋の下で亡くなっていた。夫の遺体を見つけた私は、一人で夫を川から引き揚げた。そして夫の冷たい顔に触れ、その両目を静かに閉じた。絵は、厩橋近く、小舟でたくさんの遺体を引き揚げている場面。岸辺に並べられた遺体は、まるで蝋人形の様だった。結局、両親は行方不明のままだ。その後、私は子供たちを連れ岩手の親戚を頼り疎開した。しかし、今度は3歳の長女と1歳の三男が病気になり、7月20日と24日、医薬品の乏しい田舎で相次いで死んでいった。戦争のことは、思うことも話すことも書くこともしたくない。しかし若い人たちに真実を伝えなければと決心し、この絵を描いた。

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このページはすみだ郷土文化資料館が担当しています。