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企画展

ページID:253938118

更新日:2021年7月13日

 令和2年度は、企画展として「寺社名所-失われた景観とすみだの寺社-」や東京大空襲から75年目にあたるなか「東京大空襲-被害の詳細と痕跡-」を実施しました。
 なお、新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、令和2年2月29日から5月31日まで及び令和3年4月26日から5月31日まで臨時休館しました。

企画展「寺社名所-失われた景観とすみだの寺社-」

展示概要

 中世末期から近世初期にかけて、都市としての江戸が形成されていくなかで、現在の墨田区域の景観は著しく変化しました。中世の墨田区域は中川や江戸川、隅田川が流れる低地帯「東京低地」の一部に含まれ、北部には葛西御厨、南部は砂州の点在する低湿地帯でした。
 しかし、江戸城下が整備され、また明暦の大火(1657)を契機として本所・深川地区が開発されると、新たに造成された土地には武家や町人などのほか、他所から寺社が移転し、また建立されました。
 そして、戦乱から開放された人々は、生活のなかにより楽しみを求めていくようになり、寺社参詣や名所めぐりが流行します。その結果、中世以来の「などころ」のほか、数多くの寺社が名所として耳目を集めるようになりました。
 本展示では、中世から近世にかけての景観の変化とともに、墨田区域の寺社名所とそれを支えた宗教者、特に修験者の動向について紹介しました。

会期

 令和2年9月19日(土曜日)から12月6日(日曜日)まで

企画展「東京大空襲-被害の詳細と痕跡-」

展示概要

 今年度は敗戦から75年の年であり、空襲の被害実態を再検討しつつ、体験者の方によって書かれたものや、描かれたもの、寄贈された資料から、空襲を体験していない世代に考えてもらう意図で企画展を実施しました。
 戦後すぐ、旧陸軍、東京都、地図会社などによって、空襲被災地を描いた被災地図が刊行されました。しかし、墨田区域に限って比べてみても、焼失とされた場所に食い違いが見られました。
 米軍の空中写真(航空写真)などを元に検証すると、旧陸軍のものは誤りが多くありました。東京都の地図は現状では成立経緯が不明です。地図会社のものだけに、実地調査の記録などが残っています。今回、誤りを修正し、新たに墨田区域の詳細な被災地図を作成しました。
 また、2年前に作成した避難経路図を加筆し、王貞治さんなど空襲を体験された方々の関連資料を併せて展示しました。
 当館所蔵の空襲体験画を描いた方の中には、今からおよそ50年前、東京空襲を記録する会が編纂した『東京大空襲・戦災誌』に体験記を寄稿された方もおられました。体験記の原稿と、約20年前に描かれた体験画を併せて展示することで、より深く広く理解できる機会を提供できたと思います。

会期

 令和2年12月19日(土曜日)から令和3年5月9日(日曜日)まで
 ※令和3年4月26日から5月31日まで、新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、臨時休館となりました。

お問い合わせ

このページはすみだ郷土文化資料館が担当しています。

令和2年度

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