企画展(令和7年度)

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更新日:2026年4月21日

令和7年度は、以下の企画展を開催しました。

企画展「東京大空襲80年-空襲被害写真と空襲体験画を見つめて-」

展示概要

 今夏がアジア・太平洋戦争の終わりから80年の節目の年であることを鑑み、前年度末に続いて空襲の企画展を実施しました。連続性を持たせるために、前年度展示と主タイトルは同じですが、展示内容は大半を入れ替えました。1945年3月10日の東京大空襲で区内に工場があった企業の被害状況と各社資料、現在の区内各町会での慰霊祭の状況、空襲被害写真の研究、空襲体験画の意味の再検討をテーマにコーナーを構成しました。

 関連イベントとして、前年度制作のスミダSGEPの証言映像上映会、区内も含む空襲慰霊祭を調査している研究者の講演会、空襲体験画をテーマに美術評論家、美術史家を招いてのシンポジウムを実施しました。当館が2003年(平成15)年から収集している空襲体験画をテーマに、美術史の視点からの報告を主としたシンポジウムは初の試みでしたが、登壇者それぞれの観点が分かれており、有意義な内容となりました。一部は今号の紀要に掲載されています。空襲被害写真の主観性、空襲体験画の非体験者伝達のための構成などを指摘したところ、アンケートでも様々なコメントをいただきました。

 

会期

令和7年6月7日(土曜日)から9月21日(日曜日)まで

企画展「よみがえる名所 押上 最教寺の世界-かえってきた仏像たち-」

展示概要

 墨田区域には、かつて名所として名高い寺院が多くありましたが、現在に至るまでのあいだに区外へ移転した寺院も少なくありません。そして、これらの寺院には、かつての仏像や資料が大切に守られ、「たからもの」として現在に伝えられている場合があるのです。

 大正末年に区外へ移転した最教寺は、17世紀中頃に押上村に建立されたと伝わります。『江戸名所図会』や『東都歳事記』によれば、弘安4年(1281)の蒙古襲来にあたり、日蓮が記したと伝わる「日の旗曼荼羅」が伝来しており、開帳などを通じて江戸の人々の崇敬を集めていました。

 すみだ郷土文化資料館では、平成30年(2018)から、ご住職茂田井教洵様のご協力により最教寺の寺宝調査を行っています。そして、江戸時代の押上村建立時の本尊と考えられる一塔両尊像をはじめとした仏像群や、「日の旗曼荼羅」などが伝来していることが明らかとなりました。それらは寺宝であるとともに、江戸から明治の歴史を語る貴重な地域資料でもあるものです。

 本展示では、調査成果をもとに、最教寺に伝わる江戸時代の仏像や寺宝を中心として、浮世絵や文献資料などから、かつての名所最教寺の歴史を紹介しました。

会期

令和7年10月4日(土曜日)から12月7日(日曜日)まで

企画展「隅田川を詠い、梅柳山木母寺に集う」

展示概要

 はるか昔平安時代のはじめ、在原業平が京都から東下の旅の途中、隅田川で都鳥に託して京を偲ぶ一首を作りました。『伊勢物語』は『古今和歌集』『源氏物語』とならぶ古典として後世の歌人に読まれ、そのなかの著名歌である業平の一首は広く知られるようになりました。そして、名所としての隅田川の地位は、『建保名所百首』(建保3年〈1215〉成立)によって固まり、京の公家達は遙か東国の隅田川に思いを馳せて、多くの和歌を詠みました。
 そんな名所に大きな変化が訪れたのが江戸時代でした。徳川家康が江戸に入り、天下人としての地位を固めて行くにつれて、京都の公家の江戸下向が盛んになりました。慶長12年(1607)梅若寺に近衛信尹が立ち寄り、漢字の梅の一部を二字に分け木母寺と名付けて以降、木母寺と称するようになりました。その後、江戸にも和歌文化が根ざし、隅田川は身近な名所として、武士・町人・百姓たちにも広く詠まれるようになりました。
 今回の企画展では、隅田川と梅柳山木母寺にちなんだ和歌と歌人を紹介し、梅柳山木母寺所蔵の近衛信伊墨蹟二軸と都鳥手鏡(いずれも、区指定文化財)を展示しました。

会期

令和7年12月20日(土曜日)から令和8年2月15日(日曜日)まで

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