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墨田区指定有形文化財(絵画) 絹本着色五百羅漢図(けんぽんちゃくしょくごひゃくらかんず)のご紹介

ページID:116719961

更新日:2022年9月27日

指定日

令和4年2月3日

概要

 いまから355年前の延宝(えんぽう)5年(1672)春、弘福寺(こうふくじ・向島五丁目)に新しく作られた絵画が納められました。
 本紙は、縦210センチメートル、横116センチメートルを超える大画面です。画面には、10人の羅漢(供養されるにふさわしい悟りを開いた者)たちが細部まで極彩色で表現豊かに描かれ、50幅で五百羅漢がそろう大規模な作品でした。
 ところが、この五百羅漢図は、江戸時代のうちに全て弘福寺から流出し、護国寺(ごこくじ・文京区)の所蔵となっていました。
 その後、大正10年(1921)に護国寺から20幅が売り立てられました。その後の経緯は分かりませんが、その一部は護国寺に戻り、現在、30幅が確認されています。年代や経緯は不明ですが、ふるさとの弘福寺には6幅が戻っています。今後は、残り14幅の存在が確認されることが期待されます。
 この度、文化財の指定に伴う調査によって、弘福寺と護国寺の作品36幅には同じ表装が施され、同一人物の署名・落款が押されていることが分かりました。この人物こそ、兆溪元明(ちょうけいげんみん)です。画僧で、弘福寺を開いた鐵牛禅師の弟子ですが、南北朝・室町時代に活躍した画僧明兆を慕い、東福寺に残る明兆の五百羅漢図(国重要文化財)を模してこの作品を描いたと伝わります。
  しかし、本作は、単なる模写とは異なり、高度な筆技が発揮されたきわめて完成度の近世仏画の優品といえ、本紙・表装とも制作当初の姿をほぼ留めていると考えられます。                                                     
 絹本着色五百羅漢図は、黄檗文化の多様性を示す絵画作品として重要であり、江戸における黄檗文化の広がりを見る上でも、その歴史的価値はきわめて高いといえます。

弘福寺の五百羅漢図

参考 護国寺で見つかった五百羅漢図30幅から

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