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更新日:2023年4月28日
登録日
令和4年10月3日
概要
明治初年より隅田川神社の神主を務めた矢掛弓雄が建立または建立にかかわったことが確実視される石碑群です。いずれにも矢掛弓雄が作った和歌や文章が刻まれていることが確認されています。
1 「水神道(すいじんみち)」標石 明治42年(1909)
(正面)すミた川/水の神ます浮島の/森に行かふ/みちは此道 弓雄 (左面)明治四十二年十二月建之 八百松
2 「愛賀珠之記(おがたまのき)」の碑 明治元年(1868)
愛賀珠之記
此をかたまは畏くも/光格天皇の御愛樹仙洞御所/御庭なる大樹の實生なれハ/当社に奉納る也
明治元年十二月 矢掛弓雄
3 「隅田川八景(すみだがわはっけい)」の歌碑 明治40年(1907)
(表面篆額)[冠帽印](縦書)/花香月影(横大書)/正二位通禧
(表面)隅田川八景 榊廼舎矢掛弓雄撰並詠
浮島秋月 すみた川すミてさやけき月見れハ世のうき島も名のミ也けり
関屋夜雨 荒はてし関屋の松の夜の雨のふるき名のミぞ世に聞えける
鐘淵晴嵐 沈ミたる名も世にひゝく鐘か淵浪たちさわきあらしふくなり
綾瀬帰帆 舟人の心ものりて夕かせにあやせわたりは真帆つゝく也
長堤夕照 冨士かねに夕日うすれてすミた川長きつゝミをいそく里人
外田落鳫 隅田川外田の霧のをちかたに落つる鳫の聲聞ゆなり
梅若暮雪 古塚は有やなしやとたとるまて埋もれにけり雪のゆふくれ
村寺晩鐘 里中の森にこもれる古寺のさひしさつくる入相のかね
木旭晨刻
(裏面)明治四十年二月廿五日榊廼舎翁金婚祝賀紀念有志者建
4 「隅田川関屋の庭(すみだがわせきやのにわ)」の歌碑 (明治期)
(正面)隅田川関屋の/庭ハ跡もなし/なかれての世に/名のミとゝめて ゆミを
5 「金神社(こがねじんじゃ)」の歌碑 (明治期)
「金神社 世にめつるこかねハ/かねをたまちおふ/神のミたまの/ふゆにそ/有ける 真道」
6 「浮島の松(うきしまのまつ)」の歌碑 (明治期)
「浮島の松 淵にすむ龍の/雲ゐにのほるかと/ミゆるすかたの/浮しまの松/木旭晨鐫 弓雄
7 「言問ひし(ことといし)」の歌碑 (明治期)
言問ひしことはの花はすミた川/なかれても世に匂いけるかな 真道
此浮島は在原中将都鳥詠歌の旧跡にて言問の岡と言/水神道は昔奥州街道にて道の西通り頼朝橋の旧跡也
1 「水神道」標石 明治42年(1909)
2 「愛賀珠之記」の碑 明治元年(1868)
3 「隅田川八景」の歌碑 明治40年(1907)
4 「隅田川関屋の庭」の歌碑 (明治期)
5 「金神社」の歌碑 (明治期)
6 「浮島の松」の歌碑 (明治期)
7 「言問ひし」の歌碑 (明治期)
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