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墨田区の通史年表

ページID:562326221

更新日:2011年3月10日

19世紀まで
世紀 西暦 和暦 項目
  約6000年前   墨田区域は海進・海退を繰り返していた。
  400年から600年頃   墨田区付近に孔王部という部民が置かれる。
8世紀 701年 大宝元年 大宝律令制定。国-郡-里制が成立し、墨田区域は下総国葛飾郡に編成される。
8世紀 710年 和銅3年 平城京(奈良)に遷都する。
8世紀 721年 養老5年 「下総国葛飾郡大嶋郷戸籍」(「正倉院文書」)が作成される。
8世紀 768年 神護景雲2年 下総国井上・浮嶋・河曲3駅、武蔵国乗潴・豊嶋2駅に馬10匹が置かれ、墨田区域内を通過したと思われる。武蔵-下総間の官道が整備される。
8世紀 771年 宝亀2年 武蔵国が東山道から東海道に編入される。東海道は、相模国から武蔵国を経由して下総国へ至る陸路となり、墨田区域内を通過する。
8世紀 794年 延暦13年 平安京(京都)に遷都する。
8世紀 782年から799年年 延暦年間 浄光寺(木下川薬師・葛飾区東四ツ木に移転)創建と伝えられる。
9世紀 835年 承和2年 6月29日:下総国と武蔵国の境、住田河(隅田川)の渡船が2艘から4艘に増える。
9世紀 857年から877年 天安から貞観年間 在原業平が、東下りをし隅田川で歌を詠んだと伝えられる。
9世紀 860年 貞観2年 牛島神社(牛御前社)創建と伝えられる。
10世紀 951年 天暦5年 白鬚神社(白鬚大明神)創建と伝えられる。
10世紀 976年 貞観元年 忠円阿闍利により、梅若塚が築かれたと伝えられる(木母寺の起源)。
11世紀 1020年 寛仁4年 上総介菅原孝標の一行が9月、帰京の途次あすだ川(隅田川)を舟で渡る。
12世紀 1180年 治承4年 源頼朝が打倒平氏を掲げ挙兵する。
12世紀 1180年 治承4年 9月19日:上総広常、上総国の家人2万余騎を率いて、隅田河辺りに参着する。
12世紀 1180年 治承4年 10月2日:源頼朝が千葉常胤・上総広常が用意した船で隅田河を渡り、武蔵国に入国。豊島清光・葛西清重らが参上する。
12世紀 1180年 治承4年 また、頼朝の乳母寒河尼が隅田宿に参向し、頼朝と面会する。(「吾妻鏡」)
12世紀 1192年 建久3年 源頼朝、征夷大将軍となる。
12世紀 1190年から1199年 建久年間 葛西郡が葛西清重によって伊勢神宮に寄進され、葛西御厨として成立する。
13世紀 1248年 宝治2年 都内最古、正福寺の板碑が作られる。以後、永禄11年(1568年)までの板碑が百花園・梅若小学校周辺など区の北部から出土する。
13世紀 1279年 弘安2年 一遍上人、石浜(現・台東区)にくる。
13世紀 1290年 正応3年 二条尼、すだの橋を渡る。
14世紀 1333年 元弘3年 鎌倉幕府が滅亡する。
14世紀 1338年 暦応元年 足利尊氏、征夷大将軍となる。天皇家が南北に分裂する。
14世紀 1338年 延元3年  
14世紀 1346年 貞和2年 江戸重通と石浜政重の間に所領をめぐる争いが起こる。この所領の中に墨田波(渡)という地名が見える。
14世紀 1346年 正平元年  
14世紀 1347年 貞和3年 江戸重通の代わりに子息重村が墨田の警固を務める。
14世紀 1347年 正平2年  
14世紀 1352年 文和元年 隅田川周辺で新田軍と足利軍が合戦をする(石浜合戦)。
14世紀 1352年 正平7年  
14世紀 1368年 応安元年 江戸・豊島・葛西氏らが反乱をおこす(平一揆)。
14世紀 1368年 正平23年  
14世紀 1398年 応永5年 「葛西御厨田数注文」が作成され、寺島・隅田・下木毛河・小村江などの地名が見える。
15世紀 1457年 長禄元年 太田道灌、江戸城を築く。
15世紀 1485年 文明17年 太田道灌、合戦のため隅田川に舟橋をかける。
15世紀 1486年 文明18年 聖護院門跡道興准后、隅田川を訪れ、業平・梅若を偲び、後に「廻国雑記」を記す。
16世紀 1524年 大永4年 北条氏綱、江戸城を攻め取る。
16世紀 1559年 永禄2年 「北条氏所領役帳」が作成され寺島・小村井・葛西川・江戸牛島4カ村・木毛川・江戸石原などの地名が見える。
16世紀 1568年 永禄11年 北条氏直の家臣駿河守景秀、牛島神社の社領の課役を免除する。
16世紀 1590年 天正18年 隅田川の堤防修築がはじまる。
16世紀 1590年 天正18年 後北条氏が滅亡する。葛西一帯は徳川家康の直轄地となり、関東郡代伊那忠次の支配となる。
16世紀 1600年 慶長5年 関ケ原の合戦。
17世紀 1601年 慶長6年 家康・秀忠、隅田川あたりで鷹狩りを催し、木母寺御膳所で休息する。
17世紀 1603年 慶長8年 家康、征夷大将軍となり、江戸に幕府を開く。
17世紀 1604年 慶長9年 伊奈忠治、武蔵葛飾の農民に租税の掟書を定める。
17世紀 1607年 慶長12年 前関白近衛信尹、梅若寺の寺号を「木母寺」とする。
17世紀 1596年から1615年 慶長年中 隅田川遊覧が盛んに行われる。
17世紀 1620年 元和6年 幕府、諸大名に命じ、本所堤と日本堤を築く。
17世紀 1621年 元和7年 利根川を常陸川に瀬替し銚子に流すため、関宿北西部の下総台地を開削する。
17世紀 1643年 寛永20年 3代将軍徳川家光、牛島で鷹狩りをする。以後隅田川で鷹狩り・鵜飼い・漁を楽しむ記事が見える。
17世紀 1656年 明暦2年 幕府、隅田川での過度の船遊びを取り締まる(この頃、舟遊びが盛んだった)。
17世紀 1657年 明暦3年 明暦の大火(振り袖火事)によって江戸の過半が焼失する。死者10万人。大火による死者を、本所牛島新田の地に合葬し、法要を行う。(回向院のおこり)
17世紀 1657年 明暦3年 4代将軍徳川家綱、隅田川御殿に立ち寄る。
17世紀 1657年 明暦3年 隅田川御殿の修築が行われる。
17世紀 1658年 万治元年 柴山権右衛門・坪内藤左衛門が両国橋の普請奉行に任命される。
17世紀 1658年 万治元年 徳川家綱、小梅村で鷹狩りをし、鶴・鴻・雁・鴨・鷺などの狩りをする。
17世紀 1659年 万治2年 12月13日、両国橋が完成する。
17世紀 1659年 万治2年 本所の開発が本格化し、竪川、横川などの開削工事が開始される。
17世紀 1660年 万治3年 徳山五兵衛・山崎四郎左衛門、本所築地奉行を命ぜられ、旧牛島地域外の開拓にかかる。
17世紀 1660年 万治3年 伊奈忠克により、葛西用水路が開削され、本所への給水が始まる。
17世紀 1661年 寛文元年 横川通り中之橋に「時の鐘」が設置される。
17世紀 1682年 天和2年 幕府、度々の水害により本所経営を断念し、武家屋敷の移転を認める。
17世紀 1684年 貞享元年 本所市街の撤退が完了。跡地の多くは田圃となる。
17世紀 1685年 貞享2年 隅田川・品川の両御殿の普請が命じられる。
17世紀 1688年 元禄元年 幕府、本所経営を再開し、武家屋敷・寺院・町屋の移転をはかる。
17世紀 1689年 元禄2年 渋川晴海(2代安井算哲)、本所の邸内に天文台を設置する。
17世紀 1693年 元禄6年 本所の町屋が旧態に復したため、本所奉行を再任する。
17世紀 1693年 元禄6年 水戸徳川家の下屋敷が、浜町より小梅村(現隅田公園)へ移転する。
18世紀 1702年 元禄15年 初代市川団十郎作「出世隅田川」が中村座で初演される。
18世紀 1702年 元禄15年 12月、赤穂浪士、北本所の吉良邸(現本所松坂町公園)に討ち入る。
18世紀 1717年 享保2年 八代将軍徳川吉宗、隅田堤に桜樹100本を植えさせる。
18世紀 1719年 享保4年 本所奉行の職を廃し、本所地域は町奉行の支配下に入る。
18世紀 1724年 享保9年 本所深川火事場見廻が新設される。
18世紀 1733年 享保18年 隅田川両国で疫病餓死者のための施餓鬼を行い、初めて花火を打ち上げる。
18世紀 1737年 元文2年 本所小梅村で寛永通宝銭の鋳造を開始する。
18世紀 1739年 元文4年 本所押上村で寛永通宝銭の鋳造を開始する。
18世紀 1748年 寛延元年 本所・深川地区が江戸払刑の区域内に編入される。
18世紀 1763年 宝暦13年 本所小梅村で「万古焼」の陶器が製造される。
18世紀 1771年 明和8年 長命寺門前の桜餅が有名になる。
18世紀 1771年 明和8年 (江戸自慢三十六興 向島堤ノ花并ニさくら餅、長命寺さくら餅の葉を漬けた壷)
18世紀 1774年 安永3年 隅田川に大川橋(東橋・現吾妻橋)が架けられる。
18世紀 1784年 天明4年 町人が竪川の浚渫を請け負い、11月に完了する。
18世紀 1786年 天明6年 大洪水が発生し、本所・下谷などに大きな被害が出る。
18世紀 1788年 天明8年 本所回向院境内に「天明三年浅間山噴火死者之供養石塔」が建立される。
19世紀 1804年 文化元年 向島百花園が開園する。佐原鞠塢による。
19世紀 1818年 文政元年 「江戸朱引図」が作成され、江戸の範囲が明確となる。
19世紀 1833年 天保4年 10月場所より、回向院境内が相撲の定場所となる。
19世紀 1853年 嘉永6年 ペリー、浦賀に来航。
19世紀 1862年 文久2年 本所火事場見廻役が廃止される。
19世紀 1866年 慶応2年 諸物価暴騰にたまりかねた江戸市民が暴動を起こし、6月打ち壊しが本所緑町などにも及ぶ。
19世紀 1867年 慶応3年 江戸幕府が大政を奉還し、明治新政府が成立する。
19世紀 1868年 明治元年 旧代官支配地であった向島が武蔵県知事の管轄となる。
19世紀 1868年 明治元年 江戸を東京と改める。東京府が設置され、本所がその管轄下に入る。また、向島一帯も東京府の管轄下に入る。
19世紀 1873年 明治6年 牛島学校が須崎村に設立される。
19世紀 1874年 明治7年 府下の区画が11大区に改められる。現墨田域は第6大区と第11大区に分属する。
19世紀 1878年 明治11年 三新法(郡区町村編成法・府県会規則・地方税規則)が公布され、大区・小区制が廃止される。三新法に従い、東京府下に15区6郡が定められ、現墨田区域は本所区と南葛飾郡に属する。(企画展「近代すみだの歩み」)
19世紀 1884年 明治17年 東京帝国大学のボートレースが、初めて隅田川で挙行される。
19世紀 1886年 明治19年 小学校令・中学校令・師範学校令公布。(平成11年度「近代教育の黎明」)
19世紀 1887年 明治20年 吾妻橋が鉄橋に改架される。
19世紀 1889年 明治22年 大日本帝国憲法公布。
19世紀 1889年 明治22年 本所区の区域が整理される。また、南葛飾郡下に吾嬬村・隅田村・寺島村が誕生する。
19世紀 1894年 明治27年 総武鉄道(現JR総武線)佐倉から本所間開通。本所停車場(現錦糸町駅)が開設される。
19世紀 1894年 明治27年 日清戦争開戦、翌年日清講和条約調印。
19世紀 1899年 明治32年 安政の大地震以降途絶えていた隅田川七福神が復活する。
20世紀以降
世紀 西暦 和暦 項目
20世紀 1902年 明治35年 4月・東武鉄道開通
20世紀 1902年 明治35年 東武鉄道、千住から小梅間が延長開通。梅若(現鐘ヶ淵)・白鬚(現東向島)・曳舟・小梅(現業平橋)の各駅が設置される。
20世紀 1903年 明治36年 吾妻橋岸に札幌麦酒会社のビールガーデンが開店する。
20世紀 1903年 明治36年 向島須崎町に大阪(ニシキ)麦酒会社のビヤホール朝日軒ができる。
20世紀 1904年 明治37年 総武鉄道が本所停車場(現錦糸町駅)から両国停車場(現両国駅)まで延長される。
20世紀 1909年 明治42年 両国に国技館が完成する。
20世紀 1910年 明治43年 明治40年に続いて関東地方に暴風雨。本所・向島方面が大洪水となる。
20世紀 1911年 明治44年 荒川放水路開削事業始まる(昭和5年完成)。
20世紀 1912年 大正元年 京成電機軌道株式会社(現京成電鉄)、押上から江戸川(現市川)間・曲金(現高砂)から柴又間が開通。
20世紀 1913年 大正2年 日活が向島に撮影所を開設する。(大正12年廃止)
20世紀 1914年 大正3年 第1次世界大戦に参加。
20世紀 1914年 大正3年 富山県で米騒動が起こり、各地に広がる。東京にも波及し、区内では本所で騒動が起こる。
20世紀 1923年 大正12年 現在の京葉道路、錦糸町まで開通。
20世紀 1923年 大正12年 9月1日、関東大震災起こる。本所区内の家屋は焼失し、吾嬬町・寺島町・隅田町に避難者が殺到。死者約4万9千人。(企画展「被災を記憶する町」)
20世紀 1924年 大正13年 東京帝大セツルメント、本所柳島に施設を設置。震災被害者の救援活動などを行う。
20世紀 1927年 昭和2年 駒形橋・蔵前橋が開通する。
20世紀 1928年 昭和3年 言問橋が完成し、竹屋の渡が廃止される。
20世紀 1928年 昭和3年 京成電気軌道株式会社、向島から白鬚までの白鬚線開通。(昭和11年2月廃止)
20世紀 1928年 昭和3年 錦糸公園が復興公園として開園する。
20世紀 1930年 昭和5年 本所に震災記念堂が完成する。(企画展「被災を記憶する町」)
20世紀 1931年 昭和6年 隅田公園が完成。
20世紀 1931年 昭和6年 東武鉄道、業平橋から浅草間開通。
20世紀 1931年 昭和6年 震災復興記念館開館。
20世紀 1931年 昭和6年 吾妻橋汽船合資会社、浅草吾妻橋から千住大橋間運航。
20世紀 1931年 昭和6年 環状線(現明治通り)開通。現在の水戸街道寺島広小路まで通じる。
20世紀 1931年 昭和6年 満州事変勃発する。
20世紀 1932年 昭和7年 総武線両国からお茶の水間開通。
20世紀 1932年 昭和7年 市域拡張・35区制実施により向島区成立。
20世紀 1932年 昭和7年 両国橋改架工事完了。
20世紀 1936年 昭和11年 2.26事件。
20世紀 1937年 昭和12年 盧溝橋事件発生し、日中戦争開戦する。
20世紀 1941年 昭和16年 太平洋戦争開戦。
20世紀 1943年 昭和18年 東京都制施行。東京都成立。
20世紀 1944年 昭和19年 本所区は千葉県へ、向島区は茨城県への学童疎開始まる。
20世紀 1945年 昭和20年 東京大空襲。特に本所方面は壊滅。
20世紀 1945年 昭和20年 都立七中(現墨田川高)など、向島方面が最後の空襲で焼ける。
20世紀 1945年 昭和20年 ポツダム宣言を受諾し、戦争が終わる。
20世紀 1945年 昭和20年 両国国技館で大相撲が復活。
20世紀 1947年 昭和22年 5月15日:東京都下35区が整理され、22区制が実施される(8月練馬区が分立し、23区となる)。この時、本所区・向島区が合併し、墨田区が誕生する。
20世紀 1947年 昭和22年 4月1日:6・3制教育開始。
20世紀 1947年 昭和22年 5月:日本国憲法施行。
20世紀 1947年 昭和22年 5月:地方自治法施行(区は特別区となる)。
20世紀 1947年 昭和22年 7月:両国で全国花火コンクール開催。(昭和36年7月で廃止)
20世紀 1948年 昭和23年 キャスリン台風による水害を受ける。
20世紀 1950年 昭和25年 隅田川の川開きが復活する。
20世紀 1950年 昭和25年 国技館が台東区蔵前に移転する。
20世紀 1952年 昭和27年 新四ツ木橋開通。〈昭和48年複線開通し、新四ツ木橋を四ツ木橋と改称〉
20世紀 1952年 昭和27年 講和条約発効。
20世紀 1952年 昭和27年 5月20日:都内最初のトロリーバス、今井から押上から上野公園間運転開始。
20世紀 1953年 昭和28年 NHK、テレビ本放送開始。
20世紀 1954年 昭和29年 曳舟川の小梅水門から地蔵橋間の埋め立て工事開始。
20世紀 1957年 昭和32年 墨田区の紋章選定
20世紀 1960年 昭和35年 都営地下鉄1号線、浅草橋から押上間開通。京成電鉄と相互乗り入れ。
20世紀 1968年 昭和43年 トロリーバス廃止。
20世紀 1963年 昭和38年 住民登録人口32万6千人(これをピークに人口減少)
20世紀 1964年 昭和39年 東京オリンピック開催、東海道新幹線開通。
20世紀 1971年 昭和46年 首都高速道路6号向島線、7号小松川線開通。
20世紀 1972年 昭和47年 11月:都電23番(柳島福神橋から月島八丁目まで)・29番(葛西橋から須田町まで)線など廃止され、区内から都電の姿が消える。
20世紀 1975年 昭和50年 新特別区制度施行、区長公選制復活
20世紀 1977年 昭和52年 墨田区と台東区との間で、姉妹区提携の調印式が言問橋上で行われる。
20世紀 1977年 昭和52年 墨田区の「区の木」「区の花」選定。
20世紀 1978年 昭和53年 早慶レガッタ復活。
20世紀 1978年 昭和53年 7月:両国の花火が16年ぶりに、隅田川花火大会として復活。
20世紀 1982年 昭和57年 墨田区文化財保護条例制定。
20世紀 1982年 昭和57年 白鬚東地区防災拠点外郭部完成。
20世紀 1984年 昭和59年 11月:新しい両国国技館が完成。
20世紀 1985年 昭和60年 1月:両国に国技館復帰。国技館において復帰を歓迎して「5000人の第九コンサート」開催(1月9日)。
20世紀 1986年 昭和61年 6月:小さな博物館オープン。
20世紀 1988年 昭和63年 水神大橋開通。
20世紀 1990年 平成2年 11月:区役所新庁舎・すみだリバーサイドホール完成。
20世紀 1997年 平成9年 錦糸町駅北口に再開発事業によりアルカタワーズ完成。
20世紀 1997年 平成9年 すみだトリフォニーホールもオープン。
20世紀 1998年 平成10年 すみだ郷土文化資料館開館(4月)。
20世紀 1999年 平成11年 学校統合で5校が閉校(3月)、押上小学校・文花中学校が開校(4月)。
20世紀 1999年 平成11年 大正民家園開園(7月)。
20世紀 2000年 平成12年 すみだやさしいまち宣言・墨田区公式ホームページ開設(7月)。
20世紀 2000年 平成12年 梅若ゆうゆう館・国際ファッションセンター・なりひらホーム(4月)・シルバープラザ梅若スポーツ健康センター(7月)オープン。
20世紀 2000年 平成12年 大江戸線開通・両国駅(12月)。
21世紀 2001年 平成13年 すみだ環境ふれあい館オープン(5月)。
21世紀 2002年 平成14年 すみだ子育て相談センター開設(1月)。
21世紀 2003年 平成15年 営団地下鉄半蔵門線の延伸開通、錦糸町駅・押上駅(3月)。
21世紀 2003年 平成15年 八広小学校開校(4月)
21世紀 2003年 平成15年 勝海舟像を寄贈され、区役所前うるおい広場に設置(7月)。
21世紀 2003年 平成15年 文花子育て相談センター開設(10月)。
21世紀 2004年 平成16年 関野吉晴探検資料室(2月)・元気高齢者施設「いきいきプラザ」(12月)オープン。すみだ求職相談コーナー開設。
21世紀 2004年 平成16年 「すみだ家庭の日」始まる(7月)。「墨堤の桜の保全・創出事業」開始。向島百花園200年記念イベント開催(9月)。
21世紀 2004年 平成16年 区議会、定例会で区長が新東京タワー誘致の意向を表明(11月)。
21世紀 2005年 平成17年 東京大空襲60周年を迎え、すみだ郷土文化資料館で特別展「東京空襲60年 3月10日の記憶」 開催(1月から4月)。
21世紀 2005年 平成17年 隅田小学校開校(4月)。北斎ギャラリーオープン(7月)。すみだ子どもサロン(10月)・すみだ平日夜間救急こどもクリニック開設(11月)。
21世紀 2005年 平成17年 雨水東京国際会議開催(8月)。墨田区基本構想の策定(11月)。
21世紀 2006年 平成18年 新タワー建設地が「押上・業平橋地区」に決定(3月)。
21世紀 2006年 平成18年 NPOテンポラリーオフィス開設(2月)。すみだ観光案内所オープン(7月)。
21世紀 2007年 平成19年 隅田公園の桜の植樹式。平成植桜の碑建設(2月)。子育て支援センター開設(4月)。
21世紀 2008年 平成20年 「墨堤の桜の保全・創出事業」完了(3月)。学校統合で第一吾嬬小学校と立花小学校が閉校し、立花吾嬬の森小学校を開校(4月)。
21世紀 2008年 平成20年 新タワーの名称が「東京スカイツリー(R)」に決定し、建設着工(7月)。
21世紀 2009年 平成21年 墨田区が景観法に基づく景観行政団体となる(5月)。すみだ環境区宣言、墨田区景観計画を策定(10月)。
21世紀 2009年 平成21年 王貞治氏、西山幸一郎(鴻月)氏を名誉区民に顕彰(12月)。
21世紀 2010年 平成22年 区体育館・屋内プール体育館を閉館(3月)。墨田区総合体育館を開館(4月)。

お問い合わせ

このページはすみだ郷土文化資料館が担当しています。