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すみだ粋の世界「西山幸一郎 押絵羽子板」

ページID:895249223

更新日:2007年2月20日

開催期間:平成11年5月29日(土曜日)から平成11年7月4日(日曜日)まで
今回の「すみだ粋の世界」は、江戸時代以来の伝統技術・押絵羽子板作りを受け継ぐ職人で墨田区登録無形文化財保持者の西山幸一郎(号・鴻月)さんにスポットを当てた展示を行いました。

羽子板の起源

 羽子板には、子どもの厄除けの意味があるといわれています。その起源ははっきりしませんが、室町時代の記録にはすでに羽子板が正月に使われていたようです。しかし、押絵を貼り付けた羽子板が登場するのは、江戸時代・文化文政年間(19世紀、初頭)のことです。
 江戸では、浅草・歳の市で羽子板が売られるようになり、その周辺に羽子板職人が多く住むようになりました。

押絵羽子板作りの工程

 押絵羽子板作りの工程は、大きく面相と押絵の2つに分かれます。面相師が下絵を書くと、それをもとに押絵師がボール紙で型どりし、柄のある布を付け、中に綿を入れて顔や胴の各部分を作っていきます。できあがった各部に面相師が顔や着物の模様を描きこみ、押絵師がそれらを組みあげ、羽子板に貼り付けて完成します。

西山幸一郎さんの技

 向島五丁目にお住まいの西山幸一郎さんは、浅草に生まれました。15歳の時から千住の面相師・倉田勝吉氏のもとで技術を習得し、昭和14年に19歳で独立後、今日に至るまで羽子板作りを続けてきました。
 西山さんは、上記の押絵羽子板作りの工程によらず、押絵と面相の2つの工程を一貫して行うことのできる、数少ない貴重な職人のお一人です。

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