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近代すみだの歩み 地図と写真で綴る明治・大正・昭和

ページID:255534195

更新日:2007年2月20日

開催期間:平成11年8月7日(土曜日)から平成11年9月26日(日曜日)まで

 現在の墨田区は、向島と本所という二つの性格を異にする地域から成り立っています。
 本展示会では、本所・向島両地域の性格の違いを踏まえながら、近代すみだの歩みを、行政区画の変遷を中心にたどりました。

1 江戸時代のすみだ

 近世の向島は江戸の近郊農村であり、本所は明暦の大火後に開発された新開地で、武家屋敷や町屋が大部分を占めていました。

2 近代のすみだ

 このような両地域の性格の違いは、明治以降の行政区画にも反映されています。
 明治11年(1878)に郡区町村編成法が公布され、東京府下に15区6郡が置かれた際に、比較的都市化が進んでいた本所地域は、本所区となり区部に属しました。
 一方純然たる農村部だった向島地域は、南葛飾郡の一部となり、郡部に編入されています。区部と郡部の間には府税額や戸数などの点で大きな違いがありました。以後昭和5年(1930)に東京市域(区部)拡張に伴い向島区が設置されるまで、向島地域は郡部に属しました。

3 戦後のすみだ(墨田区の誕生)

 昭和22年(1947年)に各区の人口と財政を均等化するために区の整理統合が行われ、その際に本所区と向島区を合併し、墨田区が誕生しました。
 本所・向島の両区を合併した新区の名称については、「隅田」、「墨田」、「吾妻」、「隅田川」、「江東」などの案がありましたが、墨堤と隅田川の文字から墨田の2字を選んで、「墨田区」とすることに決定しました。

主な展示品

・再刻新板本所深川細見図
・改正東京区分絵図
・栗本鋤雲書簡
・特別区整理統合告知ポスター ほか

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このページはすみだ郷土文化資料館が担当しています。