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隅田川と花火

ページID:793569076

更新日:2007年2月20日

開催期間:平成11年7月10日(土曜日)から平成11年8月1日(日曜日)まで

両国の花火の起源

 毎年夏に開催されている隅田川花火大会は、隅田川の夏の風物詩として多くの人々に親しまれています。
 その起源は古く、8代将軍・徳川吉宗の時代、享保18年(1733)5月28日に催された最初の両国川開きにまで溯ることができます。両国川開きは、当時の大飢饉や江戸に流行した疫病による死者供養と災厄除去を祈願して行われたものですが、この川開きの初日に花火が打ち上げられたのです。以後、両国の川開きと花火は、若干の断絶期を挟みながらも、昭和36年(1961)まで続けられた江戸・東京を代表する年中行事と言えます。
 また、昭和53年(1978)には、隅田川花火大会と名前を変えて復活し、今日に至っています。

1 両国納涼と花火

 江戸時代、両国は納涼の名所となり、川開きは毎年大勢の人で賑わいました。その川開きに彩をそえたのが花火でした。両国の納涼風景や花火の様子は、多くの錦絵や「江戸名所図会」などをはじめとする地誌などにより紹介されました。

2 花火の技術史

 江戸時代の花火は「和火」といって、黒色火薬を使用したもので、今日のものと比べると色彩も鮮やかではなく、地味なものでした。しかし、原料の分量を調節したり、さまざまな仕掛けを施すなど工夫がこらされ、さらに明治時代に入ると、さまざまな化学薬品が輸入され、色彩の鮮やかな花火が作られようになりました。

3 明治の両国川開き

 幕末の両国川開きは、世相の混乱を反映して行われない年が多かったのですが、明治時代には、再び毎年行われるようになりました。花火製造技術も向上し、色彩の鮮やかなものが作られるようになり、江戸時代以上に多くの人で賑わいました。その様子は錦絵などからうかがうことができます。

4 両国川開きから隅田川花火大会へ

 両国川開きの花火は一時中断されながらも、江戸時代から昭和36年(1961年)まで続けられました。その後、昭和53年(1973年)には隅田川花火大会と名称を変えて復活し、今日まで続いています。

両国花火資料館(りょうごくはなびしりょうかん)にもどうぞ

住所:両国二丁目10番8号
交通:JR両国駅
問い合わせ先:墨田区文化観光協会
開館:木曜日、金曜日、土曜日(正午から午後4時まで)、ただし7月、8月は時間は同じで毎日開館。
花火の歴史や芸術性がわかり、江戸情緒を味わえる、小さいながら視覚的な博物館。

お問い合わせ

このページはすみだ郷土文化資料館が担当しています。